所有しているものを分け与える、もしくは使っていく場合、往々にして、「もう半分しかない」という不安がよぎる分岐点というものがあるようです。この分岐点を境にして時間の速さが変わってしまうようです。それまでは、ゆったりとした気分でいたものが、無くなってしまったときの未来を想像し始めて、余裕が無くなってしまうのです。
ですから所有には、たとえその時点で充分に所有していたとしても、たえず獲得する、増やすという行為が不可欠になるのです。ときには、獲得する、増やすという行為が争いごとに発展するケースが多々あります。
人間と人間との争いのほとんどは、限られたものを分かち合う過程において発生しています。たくさんあるうちは、余裕に満ちた微笑みを交わし合うことができるが、残り少なくなると不安と恐れと猜疑心が微笑みを打ち消していく。しかし、前述したように、知識とは、人間が生まれたときから同じだけの量を持っているものであるとするなら、そこには奪い合うという行為は消えて、与え続ける、交換し合うという行為が永久に続くはずです。そうでない限り、いずれ、自分に能力があるかないか、それが実現できるかできないかで悩むことになります。まだ、やってもいないのに、すでにやったとして、やった後の結論を自分で出して悩むようになるのです。
人間は望めば何でも実現できる能力を持っている、と気づくことができたか、できないかである。もし、気づくことができない場合は、やがて、自分に能力があるかないか、それが実現できるかできないかで悩むことになるのです。まだ、やってもいないのに、すでにやった後の結論を自分で出して悩むようになります。