YOSHIDA ATSUO ACCOUNTING OFFICE

YOSHIDA ATSUO ACCOUNTING OFFICE

コラム

人間には無限の実現力があるという。

 本当ならば、この“無限の実現力“という言葉は“無限の能力”と置き換えた方がわかりやすいと思うのですが、私は、あえて“能力”とは、願ったことを叶える“実現力”である、と定義します。理由は後述します。

 さて、知識に続いて、今度は“実現力”のお話ですが、このお話には「自信」と「確信」と「才能」という3つの言葉の認識が必要になってきます。「自信」とは、自らが、その存在に気づくことである。「自分には能力がある。望んだことは何でも実現できる」ということ気づくことは、自信に満ちることでもある。自信に満ちることは、他人の思惑はまったく無関係です。本人が自分自身で本人を評価できたかできないかだけの問題なのです。「やってみよう、できるに違いない」、と行動を起こすことなのです。たとえ挫折しても、自信が揺らがなければ、何度でもやり直すことができます。この繰り返しをやって、寂しい人生を送ってしまったという話は、いまだに聞いたことがありません。

 ちなみに広辞林では、「自信」とは“何かを成し遂げた結果における本人の評価である。他人の評価や意識は無関係なのである”。また、「確信」とは“何かを成し遂げた結果を、本人が自らを評価し、同時に他人からも評価されたときの結果としての、本人の意識である”。さらに、「才能」とは“何かを成し遂げた結果や、その結果の蓄積における他人の評価であり意識である。才能があると言われた本人の意識は無関係である”と、それぞれ定義されています。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、「人間には無限の実現力がある」とする根拠は、前の項でお話しした「知識は利用してはじめて顕在化する」という仮説と関係します。何かを実現するためには、何かを実現するための知識が必要になります。大切なことは気づくことです。そして決してあきらめないことです。人間には無限の実現力があると気づき、そして“願えば叶う”と信じ続け、願ったことを決してあきらめなければ、その願いは必ず叶います。

 これは必然です。但し、その願いが、いつ叶うかは悲しいことですが偶然なのです。自分が生きている間に叶うこともあれば、自分の後継者が次の世代で叶えてくれるかもしれません。そのためには、その願ったことをより具体的に記録として残しておくことが不可欠です。願った本人は、既にこの世にはいないが、願った本人が書き残しておいた記録が引き継がれていけば、いつの世代とは明言できませんが必ず実現します。

 人間が言葉を繰るようになり、そして文字を発明して歴史を残すことが可能となりました。歴史は記録によって創られていきます。前述した、人間は誰もが均等に、この世に生まれ出でた時点で既に与えられているという仮説を受け入れることです。そして何でも実現できる能力を持っている、と気づいたら、その知識のひとつひとつを確認していくことです。しかし、ここで大切なことは<確認>と<覚える>とはまったく違うことなのです。