YOSHIDA ATSUO ACCOUNTING OFFICE

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コラム

知識をお互いに交換し合うことを学習という

 学習という言葉を見つめ直してみたいと思います。学習という行為は、本来、知識を顕在化させるエネルギーなのです。これは私の個人的な見解ですが、学習には<確認>するという行為と、<覚える>という行為があると思います。この二つの行為は一見すると同じように聞こえますが、じつは大きく異なります。

 <確認>するという行為は、自分が知識として既に持っているものを「そこにもあるよ」という具合に、相互に教えあうことなのです。コミュニケーションし合うことなのです。その結果は「あっ、そうか、気づかなかった。ありがとう」という言葉が飛び交うことなのです。従って<確認>は瞬時に理解できることであり、そのコミュニケーションの結果は、いつも相手に対して感謝の気持ちで終わることが多くなります。コミュニケーションの輪が広がりやすくなり、行動がオープンになると言えます。

 かたや<覚える>という行為は、自分が知識として持っていなかったものを教えて貰うことです。持っていなかったものを相手から貰う結果になります。ビジネス関係でいえば料金を払って購入する行為になります。この場合、お金を払わなければならないわけですから、教えて貰った相手に対して「料金を払っているのだから、ちゃんと教えろ」とか、ときには覚わらないのは「教え方が悪いからだ」という責任転化も起こりがちです。また、<覚える>は<確認>と違って瞬時に理解できない場合があり、時間も苦労もかかります。だから、一度覚えたことを他人に教えることがもったいなくなってしまうこともままあります。さらに、教えてしまうと、何となく失ってしまったような気がすることもままあります。そのコミュニケーションの結果は、相手に対しても、自分に対しても社交辞令的になりがちです。「ありがとう」とは言っても、心からの感謝ではなくコミュニケーションの輪は狭まっていくのである。クローズドになっていくケースが多く発生します。

 確認するということは、時間をかけて、苦労をして、覚える必要がまったくないということなのです。ここが重要です。確認だけをするのだから覚えるのに比べて、それこそ何十倍、何百倍も速くできる。確認していくのだから他人の話が素直に聴ける。聞かれれば、確認したことをすべて、つつみ隠さず話すことができます。確認しなければならないことは山ほどあるのですから、すでに確認したことなど大切にしまっておくほどのことではない、出し惜しみするほどのものではないという意識が満ちます。確認するのだから言い争うことがない。そういう意見もあるのだと納得してしまう。確認するのだから、確認できたら、確認させてくれた人に感謝の気持ちが持てるようになるのです。

 つまり、ここでいう確認とは知識を得ることと同じ結果であり、じつは、この確認するという行為が、気持ちが真のオープンマインドの意味するところなのです。オープンマインドとは、知識と知識のコミュニケーションに不可欠な条件であり、相手のすべての“現実”を受け入れる行為の連続といえます。“現実”とは、その人が認識している経験知(事実)の集まりなのです。マイワールドなのです。人間とのコミュニケーションによって相手の意見を受け入れるということは、相手のマイワールドである“現実”を受け入れることと同じことなのです。そして、この関係はコミュニケーションにおいて、お互いがお互いに永遠に与え続け合うという行為につながっていくのです。