YOSHIDA ATSUO ACCOUNTING OFFICE

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コラム

あちら立てれば、こちらが立たず

 私たち人間社会は、国王が所有していた「家産」を私的所有財産に分割し、「土地」、「労働」、「資本」という生産要素に私的所有権を設定して、近代国家へと時代を進化させたのです。ですから、近代国家は「無産国家」なのです。国が国家として運営していくための資本、いわゆる資産を何も持たないのです。いままで国王が所有していた領土や資産を、領民たちで分け合ってしまったのですから無産であることがあたりまえでした。そこで、租税によって強制的に貨幣を調達しなければなかったのです。

 租税の考え方は2つありました。一つは、租税利益説、もう一つは、租税義務説です。租税利益説はわかりやすく、救貧活動の財源として課税しよう、国民の生命と財産を保護するための保険料として課税しよう、と明解です。

 一方、租税義務説は、納税は国民の義務であると、言葉は力強いのですが、納税の根拠が希薄で、どうして納税しなければないのか、と突き詰めいていくと「それは義務なんだから」という堂々巡りになるようです。

 当然のように、強制的に無償で調達される話は、始めは納得していても、そのうち不平や不満が噴出してきます。乱暴な論法ですが「おもしろくない」というひと言です。言葉を言い換えれば、「嫉妬」が生まれたのです。そこで租税の負担が公平か公平でないか、租税の使われ方が妥当か妥当でないか、という話に発展していきます。租税負担配分原則の話です。

 租税負担配分原則は、国が提供する公共サービスの受益に応じて租税を負担することが公正だとする利益原則論と、経済能力に応じて負担することが公正だとする能力原則論に分類できます。どちらの論も一長一短があり、あちら立てれば、こちらが立たずで、試行錯誤しています。詳細は、神野直彦氏の著作「財政学(有斐閣)」を読まれることをお勧めします。

 いずれにせよ、近代国家は無産国家です。租税によって強制的に無償で貨幣を調達しなければ、国家としての運営資金が調達できないわけですから、租税の調達方法は手を変え、品を変え、それこそ山ほど発明されて今日に至っています。当然のように、税金の申告は複雑で難しく、わかりにくくなりました。現在、私たち職業会計人が、独占業務として税務申告代理業を営むことができるのは、税金の申告が複雑でわかりにくくなったためであるという、皮肉な結果でもあるのです。