YOSHIDA ATSUO ACCOUNTING OFFICE

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エッセイ

器の人、中身の人。

 言うまでもなく、人間なら誰でも、この器と中身の二つは、兼ね備えているものなのです。但し、兼ね備えているからといって、その兼ね備え方のバランスがとれているかというと、これはまったく別問題になります。①器は大きいのだが、中身がどうも。②中身はあるのだが、器の大きさがどうも。③器の大きさも、中身も申し分ない。④器の大きさも、中身もどうも具合が悪い。というように、ま、大きく分けて、4種類ぐらいまでには分類できるのですが、何しろバランスが難しい。

 さて、前口上はこのぐらいにして、今回、この器と中身について述べてみたいと思った理由は、今、どの企業でも避けて通れない頭の痛い問題として、リストラや、事業計画の見直しや、新規事業の立ち上げなどといった、さまざまな決断をせざるを得ない状況の時に、結局、最後になって頭を悩ます事柄は「人材の取捨選択」になると思うからです。有り体に言えば、誰を配置転換させるか、誰に出向してもらうか、そしてさらには、誰に辞めてもらうか、といった類の決断です。

 もちろん、かつての日本の多くの経営者が見せたように、「たとえ他社はどうあれ、我社は一人たりとも従業員を解雇することなく、この難局を乗り切ってみせると」いった気概ある経営者の登場を期待したいが、どうやら今度ばかりは、その期待もかなわず、「やむなし」という断腸の思いのもとに「人材の取捨選択」が行われつつあるというのが現実のようです。そこで、冒頭の、器と中身の問題に戻るわけです。誰に泣いてもらうかという決断の物差しといってもいいでしょう。そして、このとき、往々にして行われるのが「好き嫌い」の感情を軸としたリストラです。「好き嫌い」の感情を軸としたリストラが行われた場合、多くの場合、残って欲しい社員からいち早く辞めていってしまう状況が発生しがちです。

 リストラの問題は、まず、経営者自身のリストラから始めなくては具合が悪いはずです。そこで、まず見極めです。経営者自身のリストラの場合は、事業そのもののリストラと密接に関わってくるはずです。事業の器と中身の問題です。この場合、器と中身の定義を人間から事業に置換しなくてはなりません。器とは、その事業のビジョンの大きさであり、確かさであり、新しさです。中身とは、そのビジョンを具現化する商品、もしくはサービスと置換すればいいのです。

 そこで、冒頭の①から④までにあてはめてみます。①器(ビジョン)は大きいのだが、中身(商品)がどうも。②中身(商品)はあるのだが、器(ビジョン)の大きさがどうも。③器(ビジョン)の大きさも、中身(商品)も申し分ない。④器(ビジョン)の大きさも、中身(商品)もどうも具合が悪い。当然のことですが、③の場合は、おそらくリストラとは無縁のはずですから、この場合は対象外とします。また、④の場合も、リストラ以前の問題で、事業そのものが存続しない状態のはずですから、同じく対象外とします。

 次に、経営者自身の器と中身を自分で分析して、現在の事業の器と中身に重ね合わせて比較してみます。①器(ビジョン)は大きいのだが、中身(商品)がどうも。の場合:必要とされる経営者は、器の人より、中身の人です。商品の品揃えを着実に増やしたり、サービスの充実や拡充を、率先して実行できる人が適任のはずです。②中身(商品)はあるのだが、器(ビジョン)の大きさがどうも。の場合:必要とされる経営者は、中身の人より、器の人です。次々に計画を立案して、とにもかくにも、それらの計画を力業で実行させてしまう人が適任のはずです。

 経営者自身のリストラが終わったら、いよいよ社員のリストラの見極めです。役職の上の方から、必要とされる経営者の器と中身の対角にある社員を、必要不可欠な人材と定義づける方法があります。例えば、必要とされる経営者が①なら、その経営者の補佐役は、②の人です。その経営者の補佐役が②なら、その補佐役は①の人です。そして、その経営者の補佐役の補佐役が①なら、その補佐役は②の人・・・・、というように、順番に、見極めていく方法があります。とはいっても、人間の一人一人を、そんなに都合よく見極めていけるはずがない、というのも事実です。それに第一、器とか中身とか、わけのわからない物差しなんか使わなくても、「うちの会社にとって、どの社員が必要か必要でないかは、普段、社員の仕事ぶりをよく見ていれば、自ずからわかるものだ」という意見も、もっともです。

 そこで、またまた冒頭の、「人間なら誰でも、器と中身の二つを兼ね備えているもの」、に戻ってみます。但し、今度は、人間を社員、器と中身を、仕事の段取りと、仕事の手際という言葉に置き換えてみます。つまり、社員として器が大きいと言われている人を段取りのいい人。社員として中身がある人と言われている人を手際がいい人と置き換えてみるのです。もちろん、この場合も大切なのは、バランスよく兼ね備えていることです。

 さて、例えば、経営者がビジョンを先行させたとき、そのビジョンを実行すべき社員の器と中身のバランスはどうなるのでしょうか・・・。ここが重要なポイントです。間違いなく、器の社員より、中身の社員を見極めるべきです。なぜなら、時代が不透明な時代には、手際に自信がない人間は段取りを多く言うようになるからです。スケジュールの確認ばかり言うようになると言ってもいいのです。それはできる。それはできない、ああしよう、こうしようという具合です。客観的にそのような状態を見てみると、愚痴や泣きごとばかり言っているという状態です。

 一方、手際に自信がある人は経営者のビジョンに間に合わせることを優先します。やってみますよ。ま、何とかしてみましょう、の言葉が先行して、段取りは最小限の確認ぐらいにとどめておきがちです。事実、社員が段取りのことばかり言及するようになると、経営は地に足が着きにくくなるものです。ビジョンの実現に不可欠な商品やサービスを手際よくコツコツとカタチにしていく社員こそが不可欠な社員ではないでしょうか。そして、往々にして、そのような社員は、変わり者とか、偏屈とか、地味なヤツとか言われているのが常です。

 今回は、少し偏見が強すぎる嫌いがありますが、今のような時代にこそ、経営者がビジョンを明確にして、そのビジョンを先行できないようでは、経営は、ますます逼塞していくのは目に見えています。そのとき必要不可欠な社員は、コツコツと着実に仕事をこなしていく社員です。そのような社員は、じつは、真っ先にリストラの憂き目にあっているというもの事実です。理由は、リストラの対象社員を選別する管理職にとって、そのような人間が一番扱いにくいと考えているからです。つまり好き嫌いで言うと、好きでないタイプなのです。往々にして、管理職は部下の支援業務を行う役職であると自覚していない管理職ほど、一に段取り、二に段取り、三、四がなくて段取り、という具合に、中身がない仕事を延々とやっているきらいがあると言えばあるのです。そして、そのような管理職が、多くの場合、社員のリストラの選別を任されているというのも事実のようです。