YOSHIDA ATSUO ACCOUNTING OFFICE

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エッセイ

むやみにリストラすると、会社がみるみる痩せていく。

新しい社会の、新しい経営における、一つの考察

第一章
社員が入れ替わるたびに、会社がどんどん痩せていく。

(1)終身雇用制度&年功序列主義から、契約雇用制度&能力序列主義への変化が企業組織に及ぼしているインパクト。
・終身雇用と年功序列の最大のメリットは、じつは社員が培った業務ノウハウを流失させないことだった。
・さらに、終身雇用と年功序列は、新人教育の場と研修・指導のための人材の確保を容易にしてきた。
・契約雇用と能力序列は企業のスリム体質を実現したが、同時に、業務ノウハウの流失をも実現してしまった。
・契約雇用と能力序列を押し進めていく企業は、業務ノウハウが企業組織に蓄積していくシステムの構築が不可欠になる。

(2)技術革新の高速化、コンピュータ導入の普遍化、顧客ニーズの多様化が、企業組織に及ぼしているインパクト。
・技術革新の急激な進歩は、企業内に蓄積できていたと錯覚していた、さまざまな業務ノウハウを一挙に陳腐化させてしまった。
・技術革新の高速化は、仕事の需要の増加と売上げの増加とは、必ずしも一致しないという新しい経済システムを生みだしてしまった。

<第一章のあらまし>
終身雇用制度・年功序列主義の崩壊と、契約雇用制度・能力序列主義の定着化が、いま企業の存続基盤そのものを痩せさせてしまうというおそるべき状況を発生させている。いま、企業の中には、その企業が培ってきた、投資してきた経験知が残らないという状況が発生している。
 かつて、企業と社員の関係は終身雇用という形で、結果的に企業の中に、その企業の経験知が残されてきた、取り込まれてきた。社員一人一人の知識や経験知を体系だてて記述して蓄積するシステムを企業の側で持たなくても、その企業に入社した社員が定年まで在籍することにより、知識や経験知を蓄積するシステムが、あたかも存在していたような錯覚をしていたにすぎない。
 しかし終身雇用制度が崩壊し年功序列主義が崩壊し、能力序列主義や契約雇用制度が一般化してくれば、企業組織と社員との遊離が始まり、社員が、その企業組織を出ていけば、その後にその企業組織には、いままで企業が投資してきた経験知が何も残らないという現実が浮き彫り化されてきている。
 つまり、企業が痩せていってしまうという現実を露呈させているのである。知識データベースは、企業が投資してきたさまざまな人的資源を、企業組織の中に蓄積するための手段であり、マトリックス・マネージメントは、その知識データベースを構築し、運営し、活用するための手法である。
その目的とするところは、顧客の最大満足の実現であり、企業の恒久的な発展である。

第二章
会社を発展させるエネルギーは、いまや貨幣やシンボリック貨幣から知識へと変化している。

(1)会社を発展させるエネルギーは、いまや貨幣から知識へと変化している。
・社会の基軸価値の定義と、その変遷の歴史。
・社会の基軸価値である知識を知識資源とした場合の定義。
・知識を基軸価値とする社会における個人の価値観の変化、企業の価値観の変化。
・社会の基軸価値の変化が、企業経営に及ぼしているインパクト。

第三章
経営の事実とは、業務の事実であり、業務の、日々の記述の事実である。

(1)個人における知識の性格と、その役割。

(2)企業における知識資源の定義。
・業務の事実と業務スキルの相互関係

(3)個人の知識資源と法人の知識資源の区分。

<第三章のあらまし>
知識データベースを構築しないと、企業は、社員が入れ替わるたびに、どんどん痩せていく。社会の技術の進化、文化の進化のスピードが超高速化したことにより、かつて、企業内に存在していた古参社員の知識や経験知、さらには古参社員による新人教育はすべて不可能になり、その結果、古参社員そのものの存在価値が消失しつつある。
 古参社員の実質的な定年は40才というおそるべき事実も、企業の体質を痩身化させる重大な要因になっている。

第四章
企業の利益の源泉は、その企業の存在理由と一致していなければならない。

(1)企業の利益の源泉とは何か?
・業務効率利益と基礎利益の区分。

(2)企業革新の高速化が企業の財務に及ぼしているインパクト。
・未実現利益の実現利益化
・基礎利益の実現利益化

(3)企業における知識資源の定義。

<第四章のあらまし>
すべての企業組織は、その業種・業態に関係なく、モノを開発する部門と、モノを生産する部門と、モノを営業する部門と、それらの各部門の業務を支援(管理)する部門とで構成される。そして、すべての企業組織は、業務効率利益と基礎利益に合算される企業利益を生みだす。◎業務効率利益とは、モノを生産する部門、モノを営業する部門、そして各部門の業務を支援(管理)する部門で発生するモノである。◎基礎利益とは、モノを開発する部門で発生するモノである。※ここでいうモノとは、企業における有形・無形の目的物であり、成果物である。
 たとえば営業部門がなしえる売上利益は、本質的には、その企業の存在をなすものではなく、営業の業務効率アップの結果で生じる業務効率利益(決算期内に生じる実現利益)でしかない。しかし、今日、多くの企業では、この営業部門こそが企業の利益の源泉であると錯覚し、企業上層部の営業部門への評価が過大評価されがちである。営業部門は、開発部門が技術開発するモノを消費者へ受け渡すための機能であり、消費者の満足のなんたるかを認知することはできても、開発できる部門ではない。経営上層部の営業部門に対する過大評価は、ときには消費者の満足を無視し、売上中心主義に走り、結果的に、消費者の不満足を発生させる原因となりえる。
 営業部門至上主義は、その企業の存続を是非する問題を発生させる危険性を含んでいる。金融・証券企業の不祥事が、そのひとつの実証事例である。企業における利益の源泉は、業務効率利益ではなく、基礎利益であるということを明確に認識しなければならない。
 また、企業の基礎利益は、企業の存在を成すモノであり、その存在を成すモノが、顧客の満足と一致していることが企業発展の基本である。

・企業の利益=業務効率利益 + 基礎利益(企業の利益の源泉)
・企業の利益の源泉 = 基礎利益 = 企業の存在

企業の存在が実現している = 顧客の満足が実現している。
※企業が発展している状態は、顧客の満足が実現している状態である

第五章
日々の業務の事実を記述し続けることが、マトリックス・マネージメントの終わりなき、始まりである。

(1)継続革新がなければ、その企業に導入されたコンピュータはただの箱である。

(2)企業における新しいQC運動としての継続革新の定義。
・データを入力することと、事実を記述することの同義性。
・企業知識データベースの定義。

(3)業務のすべての事実を記述することが、企業知識データベースの始まり。
※ドラッカーは、目標を設定してその目標に対しての理想の業務の在り方を検討していくべきであるとしている。業務の分析は必要な作業を明確にすることから始まるのではない。それは望ましい最終製品を規定することから始まると言っている。

(4)個人における知識の性格と、その役割。

(5)企業における知識資源の定義。
・業務の事実と業務スキルの相互関係

(6)個人の知識資源と法人の知識資源の区分。
※この業務の分析をIBMはIE(インダストリアル・エンジニア)と言っている。
・企業知識データベースの構築の定義。

(7)事実としての業務詳細を組合わせた結果が、データベースの成果である。

第六章
ビジネスの目的と、その手段を明確に区別する。
企業が衰退する始まりの、多くの原因は、
この区別の曖昧さにある。

(1)データは事実であり、その事実を記述することと、組み合わせることが手段であり、その結果において発生する成果物を目的とする。
・企業知識データベースの構築手法としての
マトリックス・マネージメントの在り方。
・企業知識データを主体とする企業経営の在り方。
・企業知識データベースの運用の定義

第七章
企業知識データベース構築の最大の障害は、タテ割型の企業組織内に育まれている権力基盤であり、縄張り意識である。

(1)ヒューマンネットワーク経営の在り方。

(2)マトリックス・マネージメントのケーススタディ。

<第7章のあらまし>
終身雇用制度と年功序列主義の崩壊、そして、契約雇用制度と能力序列主義の定着化、さらには技術革新の超高速化と社会の基軸価値の変化が、企業にとって、じつに大きな問題を投げかけているにもかかわらず、企業の側には、その問題が発生していることはもちろん、その問題に対する認識も意識も持っていない。
 しかし、その問題は、いずれ企業の存続そのものを左右しかねない大きな問題に発展する可能性を含んでいる。マトリックス・マネージメントとは、マネージメントする対象を構成しているすべての事実を在りのままに記述し、そして、その事実を在りのままに認識することを基本とするマネージメント手法です。

《以下概論》

◎知識を資源として捉えることの定義のいろいろ。
 人間にとって、知識は生まれたときから等しく、同じ量だけ備わっている資源である。知識資源は無限の資源である。人間は、その種類と量の絶対値に気づいていないだけである。
 なぜなら、銀河宇宙を構成している元素数は、地球を構成している元素数と同じである。ならば、地球上で発生した人間を構成している元素数は同じである。したがって、銀河宇宙の量的な概念を無限であるとするなら、地球の量的な概念は無限であり、さらに人間の量的
な概念も無限である。その根拠は、無限の部分集合は無限であるという公式と合致するからである。
 それが資源であるならば、どの資源でも共通の認識がある。資源は、その存在に気づいてはじめて資源として認識され、その瞬間すべてのベクターが変化する。資源の存在に気づくことにより、その資源を中心にして、すべての要因は、その資源に向かって支援することを開始する。

<支援現象の時系列的変化・変遷>
1、資源の存在そのものを気づかせることを、第一次支援現象とする。
2、資源の正確な埋蔵箇所を探査し、発掘するまでを第二次支援現象とする。
3、資源を発掘し、精錬し、単一資源とするまでを第三次支援現象とする。
4、精錬された単一資源を、一次加工するまでを第四次支援現象とする。
5、一次加工から、さらに発展してn次加工するまでを第n次支援現象とする。
6、n次加工の次には資源の復元作用が働き、その支援現象を保全支援という。
※支援現象によって得られたものは、すべて成果物という。

◎知識資源における資源の定義と、支援現象の時系列的変化・変遷
1、資源の存在そのものを気づかせることを、第一次支援現象とする。
人は誰でも、何でもできる能力(知識資源)を等しく平等に持っていることを気づかせ、自覚(気づく)させ、自信を持たせ、やる気を出させることが知識資源における支援の第一歩である。その支援現象を、<気づかせ教育>という。
2、資源の正確な埋蔵箇所を探査し、発掘するまでを第一次支援現象とする。
知識資源においては、この支援現象を、<励まし教育>現象という。教育の役割は一時的なもので、本人が気づいた時点で教育の役割は終了する。
3、資源を発掘し、精錬し、単一資源とするまでを第二次支援現象とする。
知識資源においては、この支援現象を、<知識活用初期学習>現象という。
※<学習という言葉の定義>
学習は現実によって、個人個人に発生する誤認識に気づくことを支援することであり、この学習は永久に反復する。
4、精錬された単一資源を、一次加工するまでを第三次支援現象とする。
知識資源においては、この支援現象を、<知識活用中期学習>現象という。
5、一次加工から、さらに発展してn次加工するまでを第n次支援現象とする。
知識資源においては、この支援現象を、<知識活用n期学習>現象という。
6、n次加工の次には資源の復元作用が働き、その支援現象を保全支援という。
知識資源においては、この支援現象を、<知識活用倫理学習>現象という。
※知識資源においては、知識活用支援現象によって得られた量的な差が、才能の差、成果の差となって存在する。
そして、その支援現象を教育といい、学習といい、カウンセリングといい、コンサルテーションという。

◎知識資源は無限であるという仮説論。
人間には、誰にでも、未発見知識資源(いまだ、その存在に気づいていない知識資源)がある。この論は、人間であるならば、生まれた瞬間から、誰もが等しく同じ量だけの知識を持っているものであるという説に基づくものです。
 知識とは、たとえば地中深く埋もれている原油と同じような資源であるとする説がありま
す。たとえ原油がいかに価値があるものであっても、その存在に気づかないでいたら、原油が眠っている土地はただの原野か砂漠でしかないのです。しかし、その土地に原油が在るということに気づいた瞬間に大きく変わります。原野や砂漠は一夜にして莫大な価値を持った土地となり、発掘がはじまります。発掘された原油は精錬されて、そのまま自動車などの燃料として利用されるばかりではなく、ありとあらゆる応用技術が駆使されて、さまざまな石油化学製品に生まれ変わり、その価値をさらに高めていきます。資源とはすべてそのようなものです。
 話は前に戻りますが、人間は誰でも知識という資源を等しく同じ量だけ持っているとします。しかも、その資源は無尽蔵の資源であるとします。しかし、問題は資源とはそのようなものであるとしたときに、その知識資源が、いったいどこに埋もれているのか気づけない人がたくさんいるということです。また、知識資源があるということにさえ気づいていない人がたくさんいるということです。
知識の話は、まず、その人が自分自身の中に無尽蔵に埋もれている知識資源の存在に気づくことから始まります。気づいた瞬間にすべてが変わります。さらに、知識とは事実であると置き換えることによって、知識は、きわめて簡単な事柄として捉えることができるのです。
一つのたとえ話があります。目の前に、さる有名な画家によって描かれた一枚の絵がある
とします。その絵が表現している芸術性はすばらしいものでも、じつは、その絵を成している事実は一つ一つの色の集合体です。顕微鏡か何かで、その絵を拡大してみればもっと明確になります。多くの人間を感動させるみごとな絵も、じつは、一つ一つの単色の集合体の結果でしかないのです。もちろん、その絵を描くための手法や感性や表現力は複雑で、誰にでもできることではありません。しかし、それらのことも突き詰めれば、習作も含め、何枚も何枚も絵を描きあげてきた経験や、さらには数多くの絵を鑑賞したり、批評し批評されてきた歴史も、一つ一つの単色の集合体である絵を一つのパターンとして数多く認識し、記憶してきたパターン化の蓄積であったはずです。
 単色は事実であり、その事実の組み合わせがプロセスであり、手段です。目的は絵を描きあげることであり、手段と目的は明確に区分され、手段がいつのまにか目的化してしまうことはありえないのです。単色を組み合わせている途中の経過が、いかに汗と涙にまみれたドラマチックなことがあっても誰も感動はしません。単色を組み合わせて表現された結果に感動するからです。このことは、人間の知識の在り方、そして、その知識を最大限に活用する経営の在り方に、じつに多くの解決策を与えてくれているのです。
 経営の事実とは、その企業に存在するさまざまな業務の事実であり、それらの業務の毎日の事実の積み重ねです。ここで、事実という言葉を知識という言葉に置き換えて“知識とは事実である”とすると、この本で述べようとしている原点が明確になってくるはずです。経営の知識とは、その企業に存在するさまざまな業務の知識であり、それらの業務の毎日の知識の積み重ねなのです。しかし、残念ながら知識という言葉は、それを使う人や受けとる人によって、さまざまな意味が無定型に発生し、きわめて捉えどころがない、実のあるコミュニケーションが不可能な言葉として存在しています。
 事実という言葉にも同じような傾向がありますが、事実という言葉には、それにプラスして“事実は、不快である”という人間の感情として受け入れがたい側面があります。これからの社会では、皮肉なことに“知識”と“事実”という2つの言葉が持つ意味を正確に定義し、認識し、頻繁に使っていかなければならないのです。そしてさらに、その後には、すべての言葉をもういちど見つめ直し、一つ一つの言葉が持つ<意味の管理>をしていかなければならなくなります。
 なぜなら、これからの社会は、コンピュータという道具を十分に活用していくことを前提としている社会だからです。しかし、そのコンピュータは人間のように言葉が持つ意味を曖昧に捉えてケースバイケースに使い分けることができない機械なのです。

◎選択自由の大原則を前提として社会の司法と立法と行政の機能と役割分担の図。
(1)選択自由の大原則が実現している状態 =人間的である。
(2)選択できることに少しでも制約が発生している状態 =人間的であるといえない。

※選択制約エリアの幅をゼロに近づけていく仕事が、行政の機能と役割。
※選択自由幅の増減を発生させないようにする仕事が、立法の機能と役割。
※選択項目量全体の管理をしていく仕事が、司法の機能と役割。

・選択する量に制約基準を設定することも、選択する量に制約があってもいけないことであり、その2つは、共に最も重要なことである。
・選択することになんの制約もないシステムであることが、そのシステムが人間的であるといえる前提条件である。
・知識データベースにおいて、データが選択できる量というのは知識の総量であ
るのだから、その量を有限として捉える概念はすべて否定される。

◎専門家が成しうる成果についての、不連続前と不連続後の定義の違い。
<不連続前における専門家が成しうる成果の定義>
相手の質を上げることに対しては無関係であり、無関心な人たちである。当然、相手の質は不変である。
<不連続後における専門家が成しうる成果の定義>
相手の質を上げること人たちである。したがって、専門家が有する知識とは、相手の質を上げるための行為であり、知識であり、スキルである。

◎品質保証という定義も変わる。
品質保証とは、相手の質が上がったことをもって品質保証がされているとする。したがって、PL(製造物責任)の所在は、製造販売している商品が相手の質が向上していない状態ではPLを果たしていないということになる。製造者の無過失責任は、無意識の悪事として、CSにおける責任事項の範疇になる。

◎社員別経営システムの導入
<事業部別経営→ 課別経営→ 社員別経営>
への変革がオープン化時代における、新しい経営システムになり、しかも新しい社員評価基準となっていく。

社員別評価システムの導入は、産業資本においては既に実行してきている。工業生産工程における、工程ごとの成果受け渡しシステム。次工程への受け渡し時点において、成果の評価が成されている。TQCにおける、工員に対する評価は、その人の年齢も役職も関係ない。改善提案を提出し、採用された工員が無条件で評価されているという現実がある。
 炭坑夫や日雇いにおける就業システムは、じつは、オープン社会における理想形の原点でもあった。全員を経営者として、社員一人一人に経営の義務と責任を負わす就業形態はオープン化社会におけるマネージメントシステムとしての狙いどころである。炭坑夫や日雇いの人たちのマインドは、初めから、一人一人が一国一城の主である。
 法人のID、つまり存在理由における意味と目的と価値と、社員のIDである存在理由における意味と目的と価値が一致する状態が、オープン社会における理想的なマネージメントしての在り方である。産業資本において、各工程ごとの独立性があったように、業務においても、契約に基づいた、各セクション間での独立性を確保していなければならない。
 一人一人の社員が、個人としての役割分担を企業の組織内に発生させることにより、部内成果を上げ、さらにその部内成果が個人成果と一致するポイントが多ければ多いほど好ましい。従って、オープン化社会における労働形態は、個人個人での契約形態が一般化することが望ましい。

法人成果の確立から→部内成果の確立から→個人成果の確立
へと進化することがオープン化社会の基本形態である。

産業資本における生産性の向上は、各工程ごとの独立性が確保されてきたことにより実現してきた。工程の独立性とは、工程の中には工程の内容と手順があるだけである、工程の中における生産技術を、運営技術と言っているに過ぎない。業務においても同一である、
業務の中には業務の内容と、その手順があるだけである。

業務事実→業務事実の処理手順→業務事実の処理手順の部品化→業務事実の処理手順の部品化の集合化→スキル
という。したがって、スキルの評価基準の原点は、
業務事実の処理手順を覚えている数の量になる。

◎個人別経営の集合体を企業マネージメントの原則とする。
オープン化時代における、個人の評価基準は、スキルを徹底的に単品化した数の総量とする。そこには人格の評価基準は存在させてはいけない。個人の人格の評価は無関係である。当然、個人と、その個人が属する組織における契約内容の合意が必要になる。細分化と単品化の違いは、決められた工程を割っていくことを細分化と言い。この結果が起こす事実は人間不信である。単品化とは、工程そのものの規模は決められていない。むしろ無限に増殖するとさえいえる。単品化とは定性事実を定量事実としてカウントできる状態にすることである。定性事実がカウントできる状態とは、非定型業務の評価基準値の設定が可能になるということである。単品化とは、複数以上の意味を持つ定性事実を分割し、一つの事実しか持たない定量事実とする行為のことである。

◎生産量を下げ、適切な在庫調整することなく、商品単価を下げざるを得ない状況になったとき、企業の側に果たしてどのような結果が生じるか。商品単価を下げて、なおかつ生産調整・在庫調整の開始時期がずれ込んだとき、その企業の収益はどのように変化せざるを得ないか?
需要が伸びて生産が増えれば、製品単価はいずれ下がる。製品単価が下がれば、売り上げは落ちても販売個数が伸びるから、当然、社員の現実は忙しい、利益が上がっているという意識。しかし実際は、製品単価が下がっているのだから、社員が忙しいと感じているほどには利益が上がっていない。むしろ利益が落ちている。このギャップが生みだす結果は、社員の不信以外のなにものでもないという現実に企業の側は認識できないでいる。
 たとえば、売上が10~15%の落ち込みであるなら、商品単価が20~30%下げているのだから、販売個数は、むしろ以前より増えているはずである。販売個数が増えているということは、販売現場の忙しさは以前より増すはずである。当然、販売現場からの売り上げ情報は、それほど需要は冷えていないという結果が上がってくる。この時点で、経営者は、在庫調整と生産調整の開始時期の判断をミスしがちになる。
 販売単価を下げた時点で、その商品は、経常利益を生み出す商品ではなく、赤字を生み出す商品として変化してしまったことを経営者たちは認識する必要がある。この場合、販売現場の認識は忙しい、忙しいから需要はそれほど落ちていないという判断となることも合わせて認識しておかなくてはならない。
 販売単価を20~30%下げて下げて、なおかつ売上の落ち込みが10~15%になれば、販売個数は、むしろ増加の傾向をみせながら、収益構造は急激に悪化し、経常利益において50~60%の落ち込みを見せてしまう現実を露呈することになる。その事実をグラフ化したのが、下記の図である。

※消費者における需要動向の変化対応にはコストがかからない。しかし、企業における供給動向の変化対応にはコストがかかるという前提がある。しかるに、消費者の側の需要動向の下落が急激に(不連続のレベルで、例えば不景気の噂レベルでの需要動向の変化が発生してしまう)発生すると、供給側である企業の対応は難しくなる。いわゆるレイオフとか在庫圧縮などの手法では、消費者の急激な需要動向の変化についていけなくなる。
 企業側における第一の変化は商品価格の低いものに対しての供給を余儀なくされる。しかし、全体の供給量を、臨機応変に一挙にダウンさせるなどの変化は、事実上、不可能である。通常は高価格で出荷すべき商品を低価格商品に変更して出荷せざるを得なくなる。
 しかし、この状態においても企業側の業務効率における利益獲得構造は不変である。従って、この状態で発生する収益実態は、商品は利益を上げる手段ではなく、利益をロスする手段となる。その結果的な成果が、売上は10%のダウンでも、経常ダウン40%~50%というかつてない数字の発生に帰結するのである。
 ここで、企業の側で課題になるのは、一つには業務効率の改善である。または企業利益の獲得システムの変化である。つまり消費者側で需要動向の変化が不連続で発生したように、企業側においても供給動向の変化を不連続で捉えなくては、この事態を乗り切る施策はなく、企業の倒産が、かつてないレベルで多発すると考えられる。

※消費者側で需要動向の変化が急激に不連続で発生した原因は、情報の質と量の高速化による有知現象の結果である。消費者側における高速変化対応に、企業側における高速変化対応が追いつかない。高速対応の<適・不適>の問題にしか過ぎない

・顧客ニーズの多様化は、商品知識のイニシアチブを営業の側ではなく、顧客の側に奪われてしまう結果を招くようになった。

・コンピュータの導入が、企業組織の変革と共になければならないという現実を、企業の側で認識することが、いまだにできない。

以上