YOSHIDA ATSUO ACCOUNTING OFFICE

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コラム

強制的に無償で調達する貨幣を租税という

 財政学的に言えば、近代国家は、国王が所有していた領土や領民を放棄させて誕生したものです。「家産国家」から「無産国家」への相転移です。歴史学的に見れば、“近代国家とは、中世末期の封建国家の崩壊後に絶対主義下の近代のヨーロッパに成立した、領土・国民・主権を備えた中央集権的な国家。広域の地域社会に排他的な国家主権を初めて宣言した。日本では幕藩体制の崩壊と明治維新によって樹立された中央集権的な天皇制統一国家である。なお、市民革命を経た市民国家・国民国家、そして現代の大衆国家を含める場合もある(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)”と定義されます。

 簡単に言ってしまえば大衆が目覚めて革命を起こしたわけです。何に目覚めたか。重税と圧政でした。「国王に好きなように搾取されるのはイヤだ」「国王の奴隷として仕えるのはイヤだ」ということに目覚めたのでした。

 目覚めた原因の一つに、グーテンベルクによる印刷機の発明があります。情報が文字で簡単に大量に伝達できるようになったのです。ゲーテが、今まで難解なラテン語で書かれていた書物をはじめて文章を口語文で書いたことにあります。聖書も口語文で易しく書かれるようになりました。その結果、何が起こったか。聖書の場合ですが、神父様が説教してくれた内容と、聖書に書かれていることは違っていることに気づいたのでした。今日と同じように情報がオープン化されたのでした。情報がオープン化されたことにより、もう一つの事実が顕在化したのでした。

 しかし、目覚めたものの、国王の権力に刃向かえるとはとうてい思っていなかった。「仕方がない」でした。あきらめでした。それが、あるときから少しずつ変わったのでした。国王たちが対外戦争に疲弊し始めたこともあるのですが、国王の臣下の反乱も頻繁化しました。今まで絶対だと思っていたものが少しずつ揺らぎ始めたのでした。制度疲労といってもいいでしょう。ある一面では、現代社会とよく似ているのです。

 今まで信じていたものが少しずつ揺らぎ始めたのです。自己崩壊し始めたのです。とにもかくにも「時の権力=国王」と戦って勝利したのです。しかしこのとき、「時の権力=国王」がどうして誕生したか、その過去の経緯をすっかり忘れてしまったことも事実でした。

 はじめは、国王も領民もなかったはずでした。狩猟採取の時代、計画狩猟採取の時代、そして農業社会の時代、と時代が進化していく過程で冨の蓄積が偏在化したのでした。知恵を知識にして冨を蓄積した国王もいました。武力で富を蓄積した国王もいました。武力で冨を蓄積した国王は、はじめは、私たちを守ってくれた英雄だったかもしれなかもしれないのです。知恵を知識にして冨を蓄積した国王は、私たちに余剰生産物をもたらしてくれた画期的な農法を発明した国王だったかもしれないのです。時がすべての事実を飽和させ、そして過飽和させるのです。見えにくくしてしまうのです。

 国王が君臨していた頃は、私たちは、私とのことだけを考えていればよかったのでした。「国王が何とかしてくれる」でした。その国王がいなくなってしまったのでした。とりあえず、土地は自分たちのモノになった。収穫は自分たちのモノになった。モノを売買してもすべて自分たちの利益になった。

 とりあえず「嫉妬していた心」は収まったのでした。しかし、同時に自分たちで何とかしなければならない状況になったのでした。私にプラスして、私たちのことを考えなくてはならなくなったのでした。隣の国が攻めてきたらどうしよう。あの川が氾濫したら今年の収穫は望めなくなってしまう。どうしよう。隣村のAさんがケガをしたらしい。動けないから収穫を手伝ってあげなくてはいけない。どうしよう。「どうしようが山積み」されたのです。

 そして、あたりまえのように、あたりまえの動きが生まれました。「みんなでお金を出し合って、そのお金でみんながよくなるようにしよう」。「これはみんなのためなんだから、文句を言わずに出すようにしようじゃないか」。「お金の出し方は、みんながそれぞれ持っている土地の広さに応じて出そうじゃないか」。「土地を持っていない人は、お金の代わりに働くというのはどうだ」。「そのお金はいったい誰が管理するんだ」。「そのお金の使い方はどうやって決めるんだ」・・・。

 財政学用語で定義すれば、税金、ここでは租税と言い直しますが、「政府が、財・サービスを無償で供給するために、強制的に無償で調達する貨幣を租税という(神野直彦著:財政学)」という問題が、顕在化したのです。