「どこかに“いい人”いない?」。この場合の“いい人”とは仕事ができる人のことです。“人手”のことではありません。いま、企業が欲している人は「仕事をする人」ではなく、「仕事ができる人」へとシフトチェンジしているのです。「仕事がありませんか」と問い掛ける人たちには求職のチャンスはわずかしかありません。「この仕事がしたい」と問い掛ける人たちには求職のチャンスは、それこそ山のようにあるというお話です。
今から20年以上前に、P・F・ドラッカーがいみじくも述べた、ある会社における人事部での面接のやりとりが思い出されます。「いったいあなたは、私たちの組織に対して、どのような貢献をしてくれるのでしょうか」。非営利企業における面接現場でのやり取りです。これからの時代は、あきらかに、この非営利企業における意識が不可欠な時代になるのです。キーワードはボランティアであることです。
しかし現実は、このボランティアであるという意味を、「無料奉仕」という日本語に翻訳したがゆえに悲劇が始まったとも言えます。自らが考え、自らが決断し、自らが責任をとるという決意をあらわす言葉、これがボランティアなのです。自発的であることなのです。無料奉仕の意味では決してないのです。あえて言うならば、報酬は二の次にしても、仕事に納得できれば折り合いがつく、という意味なのです。
自発的であることは、スピードがあがるということです。行動が早くなるということです。現場レベルで決断できることです。権限委譲ができることです。行動のベクトル、つまりビジョンが一致していることです。明確なビジョンが共有化され、そのビジョンに対して納得と合意ができることです。何をすべきかが共有化されている組織。何をすべきかを的確に宣言し、そのために必要なリソースをサポートしつづける経営者。ボランティアという言葉は、軍隊用語において「志願兵」を意味していたのです。対極にある言葉は「徴兵」であり、ドラフトでした。
戦争ほど明確なものはありません。敵を殺せ、殺さなければ自らが殺される。国を守れ、守らなければ、自らの国が滅ぶ、家族が殺される。言葉は悪いが、一つの真実がこめられています。「自発的である」という言葉には、決意と、自覚と、人のために、という「意志」がこめられているのです。
そして、この「意志」がもっとも希薄な上に構築されようとしている制度が、わが国における「ストックオプション制度」といえます。ストックオプション制度を導入するためには、企業の業績を、経営する側と同じレベルと密度と速さで共有しなくては不公平であるにもかかわらず、業績(株価)が上がったら利益を手にできるというまやかしを、いったい誰が信じるのだろうか。「ストックオプション制度」の導入の前提は、経営のガラス張り化です。役員会議に出席する必要は無いが、役員会議のありのままを伝える情報開示が不可欠であるにもかかわらず、その仕組みができていないのです。
もはや、決算書をそのまま信じる人間などいない、といってもいい。知りたいのは、決算書を作成するに至った経緯であり、すべての真実はそこにあるのです。役員会議のありのままを伝える情報開示をガラス張り化する仕組みができていない会社において実施されるストックオプション制度は、企業を衰退させる制度となるのです。