YOSHIDA ATSUO ACCOUNTING OFFICE

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コラム

税金の何に不満が発生するのか

 税金は安ければ安いほどいい、という意見があります。必要最低限のサービスがあればいいとする考え方があります。ドイツの社会主義思想家ラサールが1862年に「労働者綱領」の中で近代自由主義国家を批判して用いた「夜警国家論」があります。国としての役割を、私有財産を外敵から守り国内の治安を維持することのみに限り、他は自由放任にするという国家観です。当時も今も、この国家観は、いろいろ論議を生んでいますが、インターネットが発達し、情報社会、もしくは知識社会としての社会観が定着しつつある今日、この「夜警国家論」は再考に値します。その根拠は、P・F・ドラッカーが著した「新しい現実」の中にありました。

 “国家が国家として行う事業は、その事業が独占事業として成立するものに限るべきであり、独占事業として成立しなくなった時点で、その事業から直ちに撤退し、その事業に関わっていた組織も法律も、すべてをゼロクリアすべき”だという考え方です。

 官僚はいったん手にした既得権益は、決して手放すことなく、その役割が終えた後まで、延々と、役割が終えた組織を維持し続けるという習性があります。これは習性なのです。事実、今日、わが国で論議されている規制緩和や構造改革論は、いろいろな立場の人間が、いろいろな議論を展開していますが、答えは簡単なところにあります。

 例えば郵政民営化も、もともとはシンプルな話なのです。郵政事業は、すでに国家の独占的事業としては存在してはいないのです。民間の事業として十分に成立するようになりました。もちろん、明治の初めの頃は、国が行うべき事業としなければ、郵便も小荷物も適切な料金で私たちの手元に届くことはなかったのでした。郵便ネットワークを構築する設備資金や、そのネットワークを維持する運転資金として膨大な資金を必要としました。当時は、民間がその事業を立ち上げるということは不可能であり、結果的に「国の独占事業」となったのでした。国が私たちの税金を使って郵便サービスを興す事業でした。

 そして今日、宅急便が飛躍的に発達し、電子メールが日常的に使われるようになり、民間の保険は、それこそ蟻のはい出る隙間もないほど細分化されて商品化されています。そして、国の事業が民間の事業と競合関係にあるという本末転倒が多発しています。

 かたや、私たちの税金を使って立ち上げた事業、かたや民間資本で立ち上げた事業だったはずです。国家が行うべき事業は「独占事業」として成立している事業のみにすべきです。国家が行っている事業を民間が行うようになったら、国家はゼロクリアを前提に、その事業を見直すべきなのです。

 「警察国家」の本質は、その対極に「福祉国家」があり、前者は「小さな政府の在り方」、後者は「大きな政府の在り方」へと展開し、最終的には、税金をあつめる方法と、税金を使う方法の議論となります。

 税金の何に不満が発生したのか。「国が税金を使うために税金を使っている」ことへの不満です。じつはこの問題は、今に始まった問題ではないのです。あるときから発生するようになった事実でした。ただ、その事実が顕在化しなかっただけなのです。意図的に隠されていたともいえます。無意識のうちに閉じこめられていたとも言えます。しかし、今日、ありとあらゆる情報はインターネットによって無秩序に噴出してきます。わき出してきます。情報操作を行うには、噴出する情報量があまりにも多すぎるのです。

 マスメディアはマスメディアで、多くが「マッチポンプ」に終始します。権力をこき下ろすことで視聴者のご機嫌を取り結んでいる。視聴者も、自らが当事者であることを忘れて不満を募らせる。民主主義が衆愚政治の様相を帯び始めるのです。