リストラは、本来、リストラクチャー(Restructure)の意味であり、再構築することを意味していたのです。従来の事業が立ちゆかなくなったから事業の見直しをするか、事業転換するか、新規事業を起こすかして、人材の配置転換をドラスティックに行うことを意味していました。それが、わが国においては、なぜか「人員整理(解雇)」の代名詞として使われるようになってしまったのでした。「解雇」という言葉の響きではない、「リストラ」という言葉の響きに反応した結果でした。
そしてリストラにあった世代は団塊の世代でした。団塊の世代は終身雇用制度、年功賃金制度の、いわば申し子たちであり、若いときは安い給料で働いて会社の発展に貢献すれば、中年になったときに高い給料が貰えるようになる、という会社のインセティブと社員のインセンティブをクロスライセンスした、一種の暗黙の了解でした。 年功の意味は年齢ではなく勤続年数のことを意味していました。終身雇用という言葉は、J・アベグレンが著した「日本の経営(The Japanese Factory)」のPermanent Employmentという単語に「終身的雇用」という訳をつけたことが始まりといわれています。
考えてみれば、終身雇用を保証するという制度が、わが国の企業の就業規則に明文化されているかというと、おそらくどの会社の就業規則を調べても、そのような規則が明文化されている事実は無いはずです。理由は簡単です。ある企業と終身、雇用される契約を結ぶということは、奴隷になるのと同じことを意味するからです。 本来、あり得ない話でした。もちろん、わが国の終身雇用制度が1920年代の大正大恐慌によって大企業を中心に過酷な人員整理(解雇)がさかんに行われ、労使関係が不安定になったことにより生まれたものであり、勤続年数に応じて「定期昇給、福利厚生、健康保険、厚生年金、企業年金、退職金」が手厚く約束されるという暗黙の了解であったことは言うまでもありません。
とにもかくにも、団塊の世代の多くが、リストラという「解雇」のもとに会社を去っていってしまった。結果的に中間管理職が消えてしまったのです。企業の文化や風土を伝えていく役割の人間がいなくなってしまったのでした。リストラにあった団塊の世代の多くは、本来、その会社の業務ノウハウや伝統や作法を継承していく役割の人たちでした。彼らの役割は中間管理職であり、目に見えるプロフィットを生むことが少ない職種でした。従って、コストを生み出す元凶であると判断されてしまったのでした。
その結果、何が起こったか。下に対して教育をする人材が消え、同時に、上に情報をあげる人材が消えてしまったのでした。しかも、コンピュータが導入され、情報ネットワークが構築されたことによりにより、情報は大量に発生して高速処理されるようになりました。情報はデータベースに格納されていると言われても、再利用する技術とノウハウが不足しているのです。現場がまったく見えないトップと、トップの指示がまったく届かない、伝わらない現場が生まれたのでした。下記の図のようにです。
指示に従わない現場と、指示が出せないトップという2つの現象が同時多発化するようになったのでした。それが、リストラをした企業の現実なのです。リストラをしたら企業がスリムになったのではなく、痩せ細ってしまったのでした。