「ゆらぎ」の国、日本。昨年末、突然、降って湧いたかのように行われた「アベノミクス総選挙」。マスコミは、例によって自公の圧勝、325席と騒ぎ立てたが、よく考えてみれば、自公は改選前より2議席増やしただけ。議席を減らしたのは、有象無象化した弱小政党で、進化論の法則どおり自然淘汰されてしまった。民意の「ゆらぎ」は共産党の23議席獲得に、一瞬反映され消えてしまった。また、日本企業の内部留保は、2014年9月末時点で324兆円に達している。企業預金が別に233兆円もあるというのに、内部留保の半分の160兆円が預金に回っているという。
企業ばかりではない、家計資産においても1600兆円が積み上がり、そのうちの半分が預金である。銀行の貸し出し金利は、過去15年以上1.5%前後で推移しているが、市場にお金が流れない。さらに、数字だけで判断すれば、日本人は持ち家比率が90%、死亡時に2000万円の預金を持っているという。つまり、私たち日本人は、世界一資産がありながら、世界一老後に不安を抱えている民族でもあるのです。
迷って決断ができないとき、“心がゆらぐ”と表現します。失われた20年、そして失われた30年と、私たち日本人は「ゆらぎ」続けてきたような気がします。しかし「ゆらぎ」とは本来、次の時代へ相転移させるエネルギーなのです。私たちのこの宇宙も、「ゆらぎ」が起点になってポッと生まれたといわれています。はっきりした原因から結果がでてくる、という今までの考え方の枠を破ることです。「結果」は両者を歩み寄らせる間合いの中からゆらゆらと立ち顕れるのです。2015年日本。ゆらぎ、「エラン・ヴィタール(生命の跳躍)」のときです。
2015年 1月 吉日
吉田篤生会計事務所
所長 吉田 篤生