YOSHIDA ATSUO ACCOUNTING OFFICE

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エッセイ

事実は不快。

 今回は、<事実>という言葉をむやみに使うと、手ひどいしっぺ返しを受けることがあります、というお話です。言うまでもなく、<事実>という言葉は、当事者同士が、ある真実を相互に認識するために不可欠な言葉です。しかし、この言葉は心して使わないと、当事者同士が相互に認識し合うことはできても、認識し合った事実と引き替えに、当事者同士を不仲な関係におとしめてしまう、危険きわまりない言葉でもあるのです。

 その典型的な<事実>のやりとりをあげてみましょう。よく経営者のみなさまが、社員に向かって「もっと事実をよく見ろ」とか、「事実から逃げずに、事実を直視しろ」とか言われている光景を目にします。このとき、経営者のみなさまが社員に言うときの<事実>は、どちらかといえば『快』に属する側から見ている<事実>なのです。正論という言葉で置き換えることも可能なのですが、まるで鬼の首でも取ったかのような勢いがあります。逆に言われている社員にとっては『不快』に属する側から見させられている<事実>なのです。「冗談じゃないよ、そんなことは言われなくてもわかっているよ」と、プイとふくれ面の一つも返してしまう。これはこれでの勢いがあるのですが、この勢いは負の勢いで、ヤル気をそいでしまう勢いなのです。

 事実を把握することは、とても大切なことなのですが、同時にとても困ったことでもあるのです。<事実>とは、本来、あからさまなものなのです。だからこそ、<事実>はどこまでいっても無機質でなければならないのです。中立でなくてはならないのです。<事実>にある種の色(例えば、意味と目的とか)を付けると、その瞬間、その事実は事実ではなくなり、まったく異なるものとして、秘められた意図と仕組まれた作為が混在する<情報>として存在するようになるのです。少し話が小難しくなってしまったので、簡単なたとえ話で易しくしてみます。

 最近話題の、ストックオプションという仕組みを、今回の<事実>の話にあてはめてみると、俄然、易しくなるのです。わかりやすくなるのです。ご存じのように、ストックオプションとは、自社株の購入を一種の高額報酬として権利化することです。額面5万円の自社株を、例えば6万円でn株購入できる権利を、社員に報酬の一部として供与します。社員はこの権利を、例えば7年間留保できるとします。その間にその株が、倍の12万円に値上がりしたとします。すると、6万円でn株購入できる権利を有した社員は、市場価格が12万円にもかかわらず、6万円で自社株を購入できて株式市場で売ることができるのです。この場合、首尾よく売り抜けることができれば、1株あたり6万円の利益を手にすることができるわけです。これが、いまホットな話題であるストックオプションの大雑把な仕組みです。

 ここまでは、何の問題もありません。言い方が露骨ですが、優秀な社員を会社に縛り付けておく手としては、きわめて合理的で、しかも従来の年功を基準とした賃金システムを変えることなく、革新的な能力給としての導入をいち早く具現化できる手なのです。問題は、この瞬間に発生します。自社株の購入権をストックオプションとして権利化したのはいいのですが、果たして手にした自社株が、最長7年後に、高額な報酬として実現するか、しないかは、ひとえに自社の業績次第であることは間違いありません。当然のように、ストックオプションを手にした社員はしゃにむに売り上げを伸ばし、利益を上げ、業績を上げることを、経営者然のように行うはずです。そして、当然のように、その社員が役職の有る無しにかかわらず、経営者自身が知り得るレベルでの、自社の経理内容や、財務内容や、経営内容の<事実>のすべてを『知ること』を要求するはずです。

 ストックオプション制度を導入した経営者は、ストックオプションの権利を手にした社員に対しては、要求されるがままに自社のすべての<事実>をあからさまにしなくてはならない義務が発生するのです。しかも、その<事実>には少しの色も付けることは許されないのです。しかし、現実は、往々にして、この<事実>には、ある種の色、例えば意味と目的が付加されがちなのです。意味とは、事実が事実としてあからさまになることを防ぐことであり、目的とは、真の事実を、虚の事実として、もう一つの事実として新たに存在させる・・・。有り体に言えば粉飾の類です。この場合、<事実>はもはや存在していないのです。<事実>は<情報>として名前を変えて、別なものとして存在するようになるのです。多くの場合、このような<事実>と<情報>の違いはまったく問題にされることなく、『<事実>を言っているじゃないか』と乱暴に放り出されて認識させられているのです。自社の経理内容や、財務内容や、経営内容のすべての<事実>をあからさまにすることは、ストックオプションを手にした社員にとっては『快』の事実であっても、ストックオプションを供与した経営者にとっては『不快』の事実でしかないからです。

 また、この<事実>は、経営者のみなさまには、さらに耳が痛いこととして、経営の根幹とも言える<出金の事実>と<入金の事実>の把握にもあてはまります。言うならば、入金とは、たった今の現時点から、未来のある一定の時限までにおいて発生する予定の不確定な<事実>です。一方、出金は、ある一定の過去の時限から、たった今の現時点までに発生し終えた確定の<事実>です。出金の事実が、正確に、しかも瞬間、瞬間に、把握できる経営システムが確立していれば、入金が出金を上回っている事実は、即『儲かっている』であり、下回っている事実は、即『儲かっていない』事実であり、その対応が迅速に、効果的に処置できるはずです。しかし、この場合も往々にして、入金の事実は別にして、出金事実をあからさまにすることは経営者にとっては『不快』な事実なのです。出金の事実があからさまにならずして、入金の事実(経営革新、リストラ、事業見直し、情報化・・・etc)がどうのこうのなど、何の意味があるのだろうか・・・。

 とはいえ、こうやって、今回のビジネスマインドの記事を記述している、この事実そのものが、じつは『快』と『不快』の相反する2つの事実を乱暴にまき散らしている・・・。事実の追求は、事実そのものは、もともとが不快なものであると自覚してからにしたほうがいいですよ、というお話が、今回のお話でした。

以上