今年は、“品”のいい人になろう。“質”のいい人になろう、をテーマにいきたいものである。というわけで、“品質”の話を始めようと思うわけですが、この品質という言葉はもともと2つの事柄をあらわしていた言葉だったのではないだろうか。例えば、“品”は品物の品をあらわし“質”は物質の質をあらわしていた。要するに品質とは従来物の“品”と物の“質”をあらわしていた言葉を、あるときから一つの言葉として使いだしたのだ、と。
不思議なことに、“品質”という言葉を2つの言葉に割ってみると、俄然品質の意味が明確になってくるから面白い。物品の“品”は、物(モノ)としての品(ひん)をあらわす意味であり、物質の“質”は、物(モノ)としての質(かた)をあらわす意味だった、と。当然のように、品(ひん)は目に見えにくいモノである。目に見えにくいモノは量ることが難しいのだから、昔から高低であらわすモノと相場は決まっている。
品が高いとか、品が低いとか質(かた)は目に見えるモノだからハッキリしている。見た目で良し悪しを量ることができる。ときには二つを左右に置いて見比べることもできる代物(しろもの)なのである。以上の事柄を下記のように図で表すともっとよくわかるようになるから不思議である。とにかく品質の話は奥が深いから疲れる。
そこで、品質の話を図にしてみた。図にしてみると品質にはいろいろな品質があるのが一目瞭然となる。品質として最高なのが<◎>である。反対に最悪なのが<●>である。<△>と<▲>は、<◎>か、<●>か、どちらかわからないが、どちらかへの途上にあるといえる。さて、ここで話はいっきに冒頭のテーマに戻ろう。人間にとっての品とか、質とかはいったい何なのだろうか・・・。ハッキリしていることは、品は見えにくいモノで、量ることが難しい。質は見えるモノで、量ることができるということである。品(ひん)は品(しな)とも読むことができる。質(しつ)は質(かた)とも読むことができるというのが、一つのヒントになるようだ。
例えば、ある場所である人がある所に立っていたとする。もし、その人が何も喋らずにジッとしていれば、その人の品や質を判断する手段は、見た目の質で判断するしかない。服装を見て、顔つきを見て、ヘアースタイルを見て、と言う具合に外観を評価するしかない。何も喋らずにジッとしている人を、見た目の質で判断できるのはこのぐらいまでであろう。次に人が歩き始めたらどうだろうか歩き方を見る。セカセカ歩いているか。ユッタリ歩いているか。
では、そのある人が何かを喋ったらどうだろうか。喋り方を聞くのが常道である。同時に喋っている内容も聞く。声が大きいか小さいか、言葉遣いが丁寧か乱暴か。そしてどんなことを喋っているのか・・・。漂ってくるのである。何も喋らない、ただジッとしているだけから、何か動き始めたり、何か喋り始めると、漂ってくるのである。この漂ってくるものが品といえば品なのである。難儀なことである。
これからの時代では、好むと好まざるにかかわらず、この漂ってくる品が人間と人間とのコミュニケーションにおいて不可欠な要素になろうとしているのである。理由は簡単である。インターネットを始めるとする通信ネットワークの進歩である。いまや、私たちは、相手に一度も会うことなく、音声と映像のみでコミュニケーションをとろうとする時代に足を踏み込もうとしているのである。身近なところでは、携帯電話などでは一度も会ったことがない人間とトーク交換しているという現象も珍しくはない。とくに、これからのビジネス社会では、この目に見えにくい“品”の勝負を前提としなければならなくなるという自覚が必要になってくるのである。
新しいことを覚えるときには、とにもかくにも練習が第一である。まず、きちんと喋るようにしよう。喋ったら、なるべくその通りに実行するようにしよう。相手を傷つける言葉はもちろん、不快にする言葉もなるべく使わないようにしよう。周りを不愉快にする喋りもできれば少なくするようにしよう。映像で映し出されたあなたの姿も品を漂わせる大切な要素です。これも練習第一。きちんとしよう。人の目があるところでは緊張感を持とう。女優がいつまでもきれいなのは見られている快感に身を弾ませているからです。
最後になりましたが、品が高くなると質が見えやすくなるのです。質が見えやすくなると質は黙っていても良くなるチャンスが増えてくるのです。自分の姿(かた)を映す鏡と、自分の心(ひん)を写す鏡の両方を持つようにする。それが“品”のいい人、“質”のいい人になるコツかもしれません。