批判することは簡単です。「問題がある」という殺し文句が使えるからです。私の顧問先の企業が新技術を開発して、大手企業に持ち込んだときの話です。その新技術の開発は、偶然にも大手企業でも最優先の開発課題としてプロジェクトチームが組まれていました。顧問先の企業が開発した新技術は、そのプロジェクトチームの責任者に評価されることになったのです。しかし、結果は、「いいものだと思いますが、問題もあると思います」という評価が下されたのです。大手企業のプロジェクトチームの責任者が、その新技術をいいものだと評価した瞬間に、「それじゃ、いままで我が社でやってきたことは何だったのだ」と言うトップの叱責を恐れたのでした。
新技術を受け入れることは、プロジェクトチームの存在と、プロジェクトチームの責任者の能力が問われることを恐れたのでした。結果として、プロジェクトチームの責任者が使った手は「消極的な賛成」という手法でした。「前向きに検討します」という言葉に置き換えることができます。大企業病の典型的なパターンです。批判しないかわりに賛成もしない、という様子見です。先送りすることです。
「第五世代マネージメント」の著者である、チャールズ・M・サベージは、次のように述べています。“企業の利潤に底穴を開ける真の元凶は、製品の仕掛品ではなく、いわば意思決定の仕掛品、すなわち意思の未決定である。企業の活力と熱気を蝕むものは、無知の細かい事柄についての中途半端な決定や決定なしの放置状態である。従って、意思決定の仕掛品は、喩え境界が不明確で情報がわずかしかない場合でも、決着をつけなければならない”
意思決定が為されない、もしくは意思決定が曖昧に為されると、グローバル・ネットワーキングの時代では意思決定を必要としていたプロジェクトの進捗がストップしてしまいます。目の前に見えているスタッフ以外に、目の前に見えていないスタッフにかかっている人件費もどんどん浪費されます。
賛成することには勇気が必要です。やり続けるという勇気です。かつてこの言葉は、松下電器の松下幸之助氏が、そしてサントリーの佐治敬三氏が「やってみなはれ」と言っていた言葉でした。関西弁特有の柔らかい言葉ですが、その裏には、「いったんやるといったら死ぬきでやりなはれ、簡単に音をあげることは許しまへんで」という、きつい言葉がついていたのでした。