「江戸っ子は宵越しの銭を持たない」という落語の話があります。“江戸っ子は収入があったら、それを、その日のうちに使ってしまうもので、翌日までいくらか残しておこうなどという浅ましい了見は持ってはいない”が一般的な意味として伝えられています。
浅ましい了見を持たない。すなわち了見をどう持つか、という「男の粋」の在り方として、よく使われる話ですが、「計画性がない浮かれものたちが、うわべのかっこよさで言っているだけじゃないの」と眉をしかめる人たちがいるのも確かです。
問題の本質は、計画性が有る、無しの是非なのですが、私は、この江戸っ子の話は、とても幸せな話として捉えることにしています。理由は、宵越しの銭を持たないというのは、翌日も仕事があるという確信であり、職人として技術を磨き、与えられた仕事をちゃんとこなせば、その日の夕方には、1日分の手間賃が貰えるという社会システムが確立している話として捉えることができるからです。
江戸時代は、徳川家康が江戸幕府を開いた1603年から、徳川慶喜が大政奉還した1867年までの265年間の時代のことを言います。この間、鎖国政策がとられていたのですが、265年間という長期間にわたって大乱がない時代でした。貨幣経済社会が高度に発達していた、平和国家でした。こんなことは古今東西、世界史上ありえないことでした。また、士農工商の身分制度にあらわされるような、頂点に君臨する武士たちが威張っていた封建的な社会でもなかったようです。貨幣経済社会を担っていた町人、つまり「商」の人たちに勢いがあった時代のようです。「士」である武士たちは、お米が禄高として支給された物々交換経済に縛られていたため、多くの武士たちの暮らし向きは、結構、苦しかったようです。利が利を生む貨幣経済に、サムライたちの生活は「武士は食わねど高楊枝」と言わざるを得ないほど、翻弄されていたようです。
幕藩体制が確立された江戸時代は、中央集権国家だったのでしょうか。事実はそうなのですが、中央の締め付け方がどうも違っていたようです。幕府が中央政府とするならば、各藩は地方自治体のようなものでした。お家取りつぶしなどの大ナタが、たびたび振られはしたものの、地方自治体である各藩への締め付けはゆるやかなものだったようです。ゆるやかどころか、いま、わが国で盛んに議論がなされている地方自治体が目指そうとしている「地方分権」が確立され、なおかつ藩札、今で言うところの地域通貨の発行による「歳出と歳入の自治」が確立していた、結構、とんでもない社会だったようです。
もちろん、個々には、飢饉が発生し、打ち壊しや百姓一揆が発生し、享保・寛政・天保と幕政改革が、たびたび行われていたようですが、大阪を中心として発達した元禄時代(1688年~1704年)、そして江戸を中心として発達した文化文政時代(1804年~1830年)に象徴されるように、それぞれの分野で役者が揃っていた町人文化を謳歌していた時代だったようです。今風に言うならば、当時の江戸社会は、都市国家社会であり、通商国家社会であり、農業国家社会であったようです。
自然環境問題においても、都市で発生した排泄物は農村に還元され、農村は、その排泄物を肥料として農作物を生産して都市に供給していたこともあり、その当時の欧米の都市社会に比べて、圧倒的に清潔で合理化された都市社会であったようです。 元禄の時代には、いきいきとした華やかな文化が花開き、文化文政の時代にはゆったりとした洒脱な文化が花開いたようです。
人口においても、江戸時代の日本全体の人口は2400万人~2700万人と安定し、そのうちの100~120万人が江戸に集中していたようです。ちょうど同じ時代のロンドンの人口が90万人、パリの人口が60万人ぐらいでしたから、江戸は、当時、世界最大の都市であったと言えます。人口ばかりではなく、出版された書籍の数も、寺小屋を中心とした識字教育の普及率も、物流の整備、商取引の制度も仕組みも、圧倒的なレベルであったようです。
前置きがずいぶん長くなりましたが、「江戸っ子は宵越しの銭を持たない」という落語の話に戻ります。
実は、「宵越しの銭を持たない」という文化は、安定した社会においてはじめて実現した「粋」な生き方だった、というお話をしたかったのです。宵越しの銭を持たなくてもいい社会であるためには、翌日も、約束された仕事があるという社会であり、与えられた仕事をちゃんとこなしていれば、元気なうちは働くことができ、1日働けば、1日の手間賃が貰えるという社会システムが確立していなくてはならないのです。
年金の財源が足りなくなる。当たり前です、少子化社会になってしまったのです。若者2人が1人の老人の年金を拠出せざるを得ない状況で、年金を減額したり、年金の支給時期を遅らせたり、年金の掛け金を増やしたりという論議は、愚の骨頂なのです。平均寿命が男女共に80歳を優に超えているのです。年金の話も大事なことですが、80歳の老人が働ける社会。宵越しの銭を持たなくても済む、粋な社会システムを、どうすれば構築することができるか、という議論を、今こそするべき時ではないでしょうか。